2008年10月31日

田代八坂神社

鳥栖の長崎街道

田代宿

田代八坂神社

田代は

対馬藩基肄養父領の代官所が

置かれていた町


昌元寺町、新町、上町、下町、外町の5町で

成り立っていました。


日田道と久留米道と

分岐する交通の要衝



田代八坂神社

田代八坂神社

長崎街道まつりの午前中の催し物がちょうど終わったころ

和服姿の方がたくさんいらっしゃって、江戸時代の雰囲気が

出ていましたよ。



昌元寺

田代八坂神社


田代宿から、肥前鍋島藩の轟木宿を目指して

町のお宝を見ながら、のんびり歩きました。



門司家の見事な鎧兜

田代八坂神社

文久元年(1861年)

ロシア軍艦が対馬占領を意図して浅芽湾に停泊したとき

田代から代官平田大江に率いられて、総勢316名が出兵

その際、この鎧兜が使用されたそうです。



田代上町の道しるべ

田代八坂神社



田代代官所

田代八坂神社



上使屋(御茶屋)

田代八坂神社

長崎街道を往来する大名、長崎奉行、幕府の役人などが

宿泊した場所



田代下町の道しるべ

田代八坂神社



広及舎

田代八坂神社

こちらでは、四目結と五七桐の家紋がついた盃を

拝見できました。

四目結は、対馬宋家の代表的な家紋


盃の横に置いてあった

山ノ内製菓さんのちゃんちゃん坊をひとつ頂きました。

ありがとうございました。



高札場

田代八坂神社



問屋場

田代八坂神社

人足や馬の継ぎ場



サロンパスの日の丸

田代八坂神社

田代の薬売りは、世界にはばたき

今もここに健在




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Posted by mejiro at 00:07 | Comments(0) | 長崎街道
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